つきあたりを右に

つれづれと思うままに綴る

UX に真面目に取り組める組織づくりについてのスライドを公開しました

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と、いうわけで転職しました

本来の職種は相変わらず 「前例の無い事をなんとか形にして」をなんとかするデベロッパとしてですが、 「UX Developer として組織的に UX とかそういうの強くして」というのも兼任しております

で、入社して1週間経って、早々と「じゃあ、出来る UX デザイナー/ディレクター/エンジニア を社外から引っ張るとか、採用募るとか、属人性の高い他力本願にしないで、組織として体制を整える方向で行きましょうよ」ということで作ったのがこのスライドです

このスライドについて

昨今、割とどのソフトウェア・Webサービス開発の現場でも「UI/UX デザイナーを募集します」と求人出しています。
しかし、求人出してるところって、そもそもそういう人材が不在で、受け入れ態勢整ってない事多いのが実情です。
そして、その後どうなるかというと、その人の属人性に大きく依存した働きのみが期待され、
組織力としては強化できてない、アキレス腱 (その人居なくなったら終わり) をわざわざ持ってしまうリスクがあります

それらを踏まえて

  • こういう展開が往々にして起きるという例
  • そのシナリオを回避しつつ、事業の成功に不可欠な存在として、UXに明るい人材を運用する方法とは
  • 今しがた UX なんとかを担当することになってしまった人は組織の中でどう振る舞えば良いか

この3つについて現実的に述べているのがこのスライドです

「UX に明るい人 (UX person)」になるための訓示のようなモノは多々あれど、
「UX に明るい人、ということにされてしまった人」の現実の実態と、
組織論として 「UX デザイン・開発 が強い組織になるためには」といった観点で語られる事は少ないです

これはその導入編です

"UX Developer" という呼称について

自分は以前から「UX デザイナー」という呼称を避けるようにしています。このあたりのハナシに関係します↓

そして、これは実は私がスタートアップや、ワークショップ、アドバイザリーなどで必ずアドバイスとして話すことなんですが、UXに秀でた人(UX person)を雇いたいと思うなら、「UI/UX○○」といった書き方をしないこと。そういう書き方をすることで、理解ができていないということを露呈しているんです。「UI・UX何でもできる人を雇いたいけど、私はよく分かっていません」と言っているようなものなんです。
つまり、「何でもできますよ」という人よりも、UXパーソンの中でUIデザインをやりたがっている人、あるいはUIデザイナーの中でもっと広い考え方で物事を見たがっている人を探す方が良いんです。

http://blog.btrax.com/jp/2012/09/10/what_is_ux/

コレを読んだ時「うわははは」と笑ったものですが、実際いまの段階では "UX person" っていう才能もまだ明確化されていませんし、雇用する方もされる方も揺るがなく「こうだ」と言い切れる状況に無いと思っています。IA より若い職業概念だと思った方がいいし、人口も圧倒的に少ない上にプロとしての練度は期待できない現実です

で、2012年の米国大統領選のオバマ陣営はこの "UX person" を "UX Developer" という担当にしていました。「この呼称は良いな」と思ったのは ”ユーザー体験" という曖昧な概念対象にどう向き合うかが良く表現されているように感じるからです

designer (量産するための設計者) でも engineer (稼働するための設計者) でも、実際にやることとのニュアンスが違うと自分の経験から思うのですね

スライドの中でも触れているように、UI デザイナーの延長として、更に抽象概念層を専門とするデザイナーとしてしまうと理想と現実の乖離が現場で起きてしまうので、エンジニアリングの現場から遠ざけてはいけませんし。

逆にエンジニアの延長としてより詳細な挙動の実装者としてしまうと、「ユーザー体験」の舞台であるユーザーの生活空間への考察が疎かになりがちです

developer という呼び方はその中で一番マシな概念の充てがい方だと思っているので、自分はコレに統一しています

というわけで

"UX person" を求める事業主は「便利な都合の良いデザイナーさん」を求め過ぎず、
"UX person" ということにされちゃった人は強かに生存戦略を企てましょう

株式会社ドワンゴを退職しました

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ニコニコ静画(電子書籍)と niconico for Windows 8 をよろしく / VoQn さんのイラスト - ニコニコ静画

上の左の娘はiOS擬人化キャラがコモディティとして存在してないっぽいのでGUIのカラースキームから適当にでっち上げた娘です。ニコニコ静画(電子書籍)、niconico for Windows 8 をどうぞご贔屓に

去る、11月30日をもって株式会社ドワンゴを退職しました


12月からはまた新しい別の前線で戦う事になります。


えらく濃い日々を過ごさせてもらいました。公に自分の仕事が世に出たのはニコニコ静画(電子書籍)と Windows Store App の niconico for Windows 8 の2つくらいしかないのですが、どちらもかなりのバリューのあるプロダクトに根っこから関わらせていただいて、その経験は得難いものだと思っています。


(他にも幾つか案件はあったものの、そもそも自分の職務が研究職だったので公開はできず)


ニコニコ静画(電子書籍)


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(サービス公開当時のキャプチャ)

これが自分が生涯初のWebサービスとなりました。そして、ドワンゴに入社するきっかけでもあり、一番時間のかかったプロダクトです。


プロジェクト立ち上げから、グランドからディテールまでのコンセプトワーク、基盤技術調査、ユースケース、シーケンス、プロトタイピング、フロントエンド設計と実装 Webサイトデザイン etc… バックエンドとiOSクライアント以外全域にまたがって担当していました


無論、コンセプトワーク以降で僕はエキスパートでもなんでもないので、より出来る人に預けながら自分が出来る範囲を狭めつつではありましたが、

(企画)「おーいVoQnここの文言変えて−」
『あ、はい。今CSSいじってるのでちょっと待って』

(Web)「おい VoQn ここのテスト通らねーぞ」
『えっ、あっ API 実装変だゴメン直す』

(Flash)「VoQn うごかないー」
『html テンプレ崩れてる!あ、Model いじったからだスマセン…』

(緑)「なんだこのjsはァ!!??なめとんのか!!!」
『…(泣きそうになってる) い、いま イラレいじってるから後で…』

(青)「CSSはナァ… こうやって書くんだよテメェ…?」
『…(まだ優しいけど今自分の周辺BL空間できてて辛い…)』

(赤)「テスト書けや!!!」
『すいません!!!!!』

なんか後半こんな感じでしっちゃかめっちゃかだったナァ… ちゃんと仕事キャパ考えて人に渡そうと、この件で学びました。


その後、書籍はリリースしてから一ヶ月まで産後のケアにお手伝い位に関わり、以後は引き継ぎして次の仕事に入る事になります

niconico for Windows 8


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公開されたプロダクトでは最後の仕事となりました。


ニコニコ超デザイン-Metro死闘編-でも触れましたが、ニコニコ超会議直前になって「これ作って。あと超会議にもデモしちゃお?」言われ 「うおあうあうあうあー」とか言いながら GUI パーツ作っていた記憶がわずかにあります。



超会議の後からは本格的なアプリ開発の為に既存のニコニコ動画の主機能をどう Windows RT 環境でどこまで再現、再構成するのか議論しながら3ヶ月ほどグランドデザインをやり、後半はXAMLC++で自分がでっち上げたデザインを実現するのに苦労していました。



僕が退社する前にWindows 8 アプリチームからは離れ、現在ストアに並んでいるバージョンが自分が最後にかかわったものです。実はデザイン面でも機能面でも、自分がイメージしていたものを再現しきれずに終わってしまったのは若干後悔しています。


現在 niconico for Windows 8 はプレミアム会員のみの利用可能となっていますが、これには色々大人の事情(検閲されました)もあるのと、もっと安定性とUIの充実や、内部システムの整理がついた後に一般会員にも利用できる展開が来るかと思います。まだまだβテスト版なのだな、と寛容してくださると助かります


ニコニコ動画は自分のインターネット生活と文化圏の世界観を狂わせた思い入れのあるサービスだったので、そのクライアント開発に携わるとは本当に思いもよらなかったし、そういう意味で、人生的にも大きい一つの出来事になっていきそうです


振り返って


…しかしまぁその場で技術覚えてやった、みたいなのばかりでしたね…入社前MySQLPHPXAMLC++もやったことなかったんですよ。js も html css も手習い程度で仕事で使えるレベルではありませんでしたし。また、Web系(ドワンゴが本当にそう呼ばれる企業なのかちょっと怪しいと思えるけれど)の、周囲の刹那的すぎるスピード感はいい刺激となりました。


「そういや、なんで辞めるの?」


意外だと言われたりするのですが、きっかけはニコニコ超会議の現場を見てからです。あの場に多くのユーザーが来場してくださったのは本当に嬉しい反面、こう考えるようになりました


「これって、ニコニコのエンジニアリングの成せる業でなくて、ニコニコの文化にみんな惹かれているからだよな。じゃあ、もしかしてエンジニアリングやデザインって、これ以上はユーザーの邪魔になりうるんじゃないのか」


書籍は新規ユーザーを獲得する目的もあり、ある意味「書籍ユーザーの文化圏」を自分の手でデザインするように設計しましたが、その超会議の後のniconico for Windows8 に至っては「今のユーザーが親しんでいた文化」を最大限 Windows Store App の UI 上に展開するよう設計しました(そもそも Metro Style App と呼ばれていたものに載せるだけで相当に印象と操作性が変わってしまうのを念頭に置いて)


プロダクトは、常にライフサイクルと世界の価値の変動の循環に合わせて手を加え、一新させていかないと死を迎えるものですが、今の自分のキャリアの浅さから、ニコニコのようなユーザー文化が強すぎる世界で「デザインが良いからなのか、単にみんな『ニコニコ』が好きだからいてくれるのか。デザインで失敗したのか、もうユーザーが『ニコニコ』に飽きてしまったからなのか」をこれからも判断できるとは考えられなくなったのが主な理由です


なので、一度、一人のニコニコユーザーとして、しばらく場を離れてみようと決意しました


2年と短い間でしたが、みなさんありがとうございました。


狭い業界だし、どうせまた会うでしょう。ズッ友だよ!

プログラミングとデザインを続けている理由

最近になって、ひとつ気付いた事がある。
僕は仕事としてプログラミングやデザインをするのに向いていない。

一応、職業としてはソフトウェア・エンジニアという肩書きを持っており、
UI と UX を専門とする研究職という立場にはなっている。

プロジェクトの進行や状況に応じてプログラマー役、デザイナー役、ビジネスプランナー役をバタバタと切り替えているので、最近は「必要に応じてなんでもやってる感あるので、あんまり自分を専門家的に思えなくなってきたっていうかタダの小間使いでは」としか思えないのではあるが。


”何か”を作りたい、成し遂げたいと思ってものづくりに取り組んでいない
他のプログラマー、エンジニアやデザイナーが、実際どうなのかは知らないけれど自身がプログラミングを独学で始めた時によく言われた事が

「何かやりたいこととか、作りたいものが無いのに覚えたり学ぼうとしても、効果は低く、あまり意味が無い」

とか、そんな助言だった。

しかし、その時も、今でさえも、別に "何か" を作ったり、出来るようにする、その何かは持っていない。

それでも、今日まで漫然と(おそらくは平均的な同業者よりスキルが高いと思われてしまっている程まで)続けてきた


「上手くなりたい」、ただそれだけ
今も昔も、学んだり研鑽や知識の探求を続けているのはコレしかない。

絵だって、芸術家のように、何か描きたいメッセージがあるわけでも、描き続けたいテーマ、対象(可愛い女の子とか、動物とか、植物とか、クルマとか)があるわけじゃなく

「描きたいものがあるわけじゃない。ただ、絵がうまくなりたい。上手くなってどうするのかは知らない。ただ、うまくなりたいだけ」

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美大を敢えて受験する事を選んだのも、振り返ればそういう事だった。
色彩計画にしろ、レイアウトの基礎理論にしろ、デッサンにしろ。

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大学に受かる事が目的でも、芸術方面での卒業後の活躍のような野心とかでもなく、ただ上手くなりたい、それだけだった。

今だと、もしかするとネット上で僕の id を知る人は、僕がプログラマーである、という認識の方が多いのかもしれない。

けれど、自分の人生の大半はゲームして、技術的理論を何も知らずに下手くそな絵を描いて過ごしており、プログラミングを独学で始めたのは2007年、大学四回生、23才の後半である。twitter とか tumblr を初めてから半年以上が過ぎてからだった。

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エンジニアリングのスキルセットはまだ身につけはじめてから 5年も経っていない。

芸術・デザインに関する諸々の理論や技法・技能ですら、まだ身につけはじめてから10年も経過していないのだ

ニコニコ動画を見始めた2007年の頃にはまだ Unix の cd コマンドも, C のエントリーポイントの int main すら知らなかった。
その5年後にその開発者である id:koizuka さんと仕事してて、koizuka さんの書いた C++ のコードを弄ってる事は当時の僕が聞いたら信じられないだろう

あ、この件に関して、というか、自分がエンジニアリングの世界に足をつっこんでしまった経緯には id:Yoshiori が絡んでいて、その話は別途したいので後日エントリーに起こす。

その「何か」が見つかった時にすぐ作れたり、出来るようにしたかっただけ
「上手くなりたい」というのは、今見つけられていない

「作りたい/実現したい"何か"を持ってしまった時に、さっさと、しかもとびきり高いレベルでやれるようにしたいから」

ということになる。つまり、単純に「達成したい目標ができても、それをできないでいるのが嫌なだけ」なのである。

描きたくても(随分と色々な既存のモノに目が肥えた自分にとって)下手だったり、実力が足りなくて描けないというシナリオが嫌だから練習していたのだ


「続ける理由は、続けたいから」
でも、それも人に説明がつくレベルでの表現で、もっと自分に素直に言うと研鑽と探求を続けたいから続けているのである。
プログラミングをすること、考えること。デザインをすること、考えること。それそのものが目的でいる。

自分が仕事としてプログラミングやデザインをするのに向いていない、と感じるのは「自分がもう関心を失ってしまった事」「自分でもうわかってしまっていること、単なる工夫で解決できること」に対して全く手が進まなくなったり、しようとしなくなる事があるからだ。

この自分の怠惰は過去にメンバーに大いに迷惑をかけた。この場で改めて謝りたい

結局、昔も今も、真に自分が作りたい何かを持っているわけじゃない。


ただ、関心事として電子書籍のサービスとアプリケーションって面白そうだな、どうやって作ると良いんだろう」とか

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「Windows 8 の Metro Style って面白いな、どんな風に設計するとキマるんだろう」

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とか、あくまで演習のように自分の興味本位の課題として取り組んでいただけだ。

仕事として与えるなら、もっと実作業と呼ばれるようなコーディングやグラフィックワークを自分の領分から取り上げて、ストラテジーを練り上げるプランナーに追いやる方がまだ使いようがあるような気がする。(そういう役は実作業をしたプロジェクトの成功を以って実績とされ、出世しないといけないのだけど)


もしかすると、きっと今後も、死ぬまで本当に自分の作りたいものなど、出てこないかもしれない。

それでも、「いつか来る、本当に作りたいモノに出会えた時のために」今日も愚直に実らないかもしれない努力を続けるのである。

「物言わぬ君たちがあの子を見殺しにした」

いじめ問題が報道されて、様々な口から「むごい」とか「自分の辛い過去思い出した」と言葉が出てくるわけだけど、報道されるような実例は、案外わかりやすいドラマティックなものしかなくて、今もなお誰にも知られず、それは行われていることだろうというのが、また悲しい話で。


報道されるような「いじめ問題」

  1. 加害者による、身体加虐、金銭の強要または強奪、精神的苦痛を与えられた
  2. 目撃者や加害者によって、それが明らかな事実として判明している
  3. 被害者がそれらの苦痛に耐えられず死亡してしまう、あるいは自害する
  4. 被害者遺族が訴え、それが明るみになる

このセットがあって初めて「それが起きていた」ことが事実となる。でも、本来であれば人が死ぬほどの事が起きる以前に解決されるべきであるし、そもそも「いじめ」という現象自体が起きない方が良い。けれど、これ、未然に防ぐの絶対無理な気がする。


生き残ったいじめられっ子たち


のいじめられた経験って人によりだいぶ程度が異なると思う。それこそ、「部活でハブられて苦痛で辞めた」とか、「クラス中から”アイツはバカにして目下の人間として扱っていい”という認識が徹底されていた」とか「自分の私物をいたずらされた」とかとか。報道されるようなケースでは暴力で怪我を負うような事だったり汚物を口に入れさせらりとか、そういうわかりやすいものが取り上げられるが、「攻撃されないが、この状況を打破できない」という環境を作られてしまうことも、いじめの現象だろう。


自身の経験で「スクールカーストの中の下」を強要されたことと、受験を優先して部活を退部した後に、絡んだことのないクラスの女子にあれやこれや負のイメージを吹聴されたことがあった。当人は「くだらねーっていうかうっとおしいなー」くらいにしか感じなかったけれど、地味にあれは性格が歪むし、「スクールカーストの中の下」の強要をしていたのはクラスの中の中心的女子グループだったので、自分の女性恐怖症と女性に対する不信感はそこで形成されているような気がする。


というか、年齢年代関係なくどこでも発生してるんじゃね?実は


いじめ問題って大抵「学校」っていう舞台で起きてるって認識しがちだけど、実際同様の現象はそれでこそ SNS の中でさえ起きるようなものだと思ってる。経験あるはずだ、職場だろうと、オフ会だろうと、「あ、あの人来てないね」←(実は呼んでさえいませんでした) というパターン。


「それはいじめというよりハブられてるだけではないか?」 。ああ、あなた多分その人いじめられてたら放置するんでしょうね。おそらくその人が同じ職場でパワハラ受けてようと「あーあの人かわいそう…」「耐えられないなら転職してしまった方があの人の為だよね…」で何もしないでしょうし、SNS で誰かが誹謗する事をやっていても、庇い立てしないで別の水面下チャットで「なんかあったのかねー」とかウワサして終わりなのではないでしょうか。


コミュニティの”人”を点にしたネットワークはノードツリーでなく、多層パーセプトロンのような構造で、各起点である人は接続してるそれぞれの他人への”つながり”に重み付けをしている。それはネットワークに”不人気”な部分や、優先的に”断線させる”対象ができる構造である。


だから結構な割合で「気に入ってる人たち」「敵に回すと怖い人たち」と重み付けしていく中で「どーとなっても別にどーでもいい人たち」というのが大多数を占め、そしてそれらはどうでも良いが故にあまり気にさえかけなくなる。「敵に回すと怖い人たち」が「どーでもいい人たち」を迫害しているという状況だからこそ、あなたは動く事もなく、平穏な日常を過ごそうと見て見ぬふりをする。


「あなたたちもいじめられっこを死ぬまで放置するような人ですよ」


仮に過去に傍観者という立場になっていて、身を乗り出していじめられっ子を庇った経験のある人でも、かつて、自分がいじめられっ子の立場としてつらい日々を送っていた人でも、頭の片隅にこう言いかけておく必要があって。


もし過去に友をいじめから救った経験があるなら、それは、たまたま「気に入っている人たち」がその被害を受けたから、そしてそれがどうしても嫌だったからだ、と思っていた方がいい


毎日毎日、都内のどこぞの沿線で人身事故起きて電車が遅延するけど、それがアナウンスされた時に手を組んで黙祷するやつとか見たことねーぞ。大抵「あーダルいなー、こっちは早く帰りたいんだよ…」くらいに顔歪めるのがせいぜいではないか。それが悪いというわけではない。けれど、そんな程度だろう、見知らぬ人の苦しみなど


理屈をぶっ飛ばした「道徳教育」とかで洗脳するしかないのでは


そもそも発生しないのが理想であっても、みながみな依怙贔屓と軽蔑軽視を駆使して人を選り好みするゲスで、平気で人の名誉を蹂躙できるし、人の承認欲求を無視して捨て置けるクズであると過程しておいた方がこの手の問題の対策の糸口となりそうで。


実際、いじめ問題に対して効果のある対策って、「起きた場合のトラブルシューティング」だったりする。「そもそも起きないようにする」のではなく。


もし、本当に起きない事を理想とするのであれば、宗教的教義を幼児期から徹底的に刷り込ませるしかないのだと思う。


論理も理屈もまるでないけど、日本の「道徳」の授業って水からの伝言を題材にするくらい非科学的なんだから、理屈になってないモラルを無理やり植え付けるの得意じゃないですか


「あの子が傷ついているのは、物言わぬ君たちが隣にいながら見捨ててるからだよ」

「正義の となり」が負うもの

(はじめに)

このブログはできるだけ個々の案件はもっとよく語れる方へお任せして、すっかり話題にされなくなって「あんなこともありましたねー」くらいになってから回想したりするものです

 

「「正しい」って、大きければ大きいほど隣接しうる側と断絶するよな(というか、迷惑被るんだよな)」

武雄市図書館のCCC提携の件とか、Studygift とか、先日あった首相官邸前デモとか、いろいろありましたけれども、個々に述べることなく上半期傍観してて、「ああ、共通してんな」と思うことがありました。

 

この国には思想と表現の自由というのが法律上保証されているので、別に誰がどう考えようが表明しようが、それが誰かを侵害しない限り咎められることはないのですが。

こと、「公益」とか「大義」とか「道義」とか。そういうものが入ってくると人間おかしくなるというか、”この思想に異をなすものは社会的に駄目!” みたいな人格否定を無自覚にやりだすというか。

 

合意のコスト

基本的に、やりたいことや、主張する事って、それの影響を受ける対象の規模に応じて、負担を大きくさせるものです。

「表現するだけなので、言ってるだけだし、書いてるだけだし」とはいっても、対象となる人にはそれを受け入れる心理的な負荷をかけてることには変わりなく。

そしてどう受け取るかも個々に任せる分、その係数は人によるのでネットの(攻撃を意図しない)一言が他者を予想外に響かせることも、その逆があることもそれで説明つくかと思います。

 

それが、表現するだけで終わるだけでなく、実際に何らかのコストを払い、リスクをかけて、何か活動を行う場合その負担を合意してもらう必要があります。

だから、法人の事業では、プロモーションなり、マーケティングなり、プレゼンテーションなりをして払う側、負う側へ合意してもらおうとするわけです。

 

つまり、主張することや実行せんとする事を、隣接する者への納得または合意を得て幸福を実現させようとするものです。

 

「社会的に善(っぽい)」

で、社会的に訴える類になると、それがもっとより強く要求される事になるはずなのです。

「青少年の健全な環境の為にいかがわしいもの市場に出回るの禁止〜」とか

「著作権者の権利を守るためにCD以外の流通信用しないで違法化するぞ〜」とか

「国民の健康と自然環境の為に原子力発電所撤廃させよ〜」とか

これら、「為に」の部分はそりゃ真っ当ですね、なんか道徳の教科書で習った「いいこと」っぽい感じしますね、とは思うものの、実際には実現するにも、実現した後にもかなりのコストとリスクがかかる事です。「できなくなること」であったり、「負担が増えること」であったり。

 

このコストとリスクは主語の大きさに比例してデカくなると思います。

 

(注) 違法ダウンロード刑罰化の話は、そう主張するわけじゃないはずですが、参考人の主張だとこう聞こえてしまう。公式Youtube配信とか微妙なラインではないですか。

 

「社会的に善(だと信じてること)なのだから」だと割と人って乱暴になる

正義(せいぎ)さん (まさよしさんじゃないよ、孫社長のことでもないよ) って自分の中で呼んでいるんですけど、

 

「これはそもそもが善い事なのだし、そこを批判される謂れなどないし、これに反対する者は間違っているか物事をわかっていない」

 

と、わりかしぞっとする思考を持ってる人。

あるいは、この思念の亜種として、

 

「色々な見聞や権威からのお墨付きなり常識なりで、今の自分の考えは正しい!異を唱える人はモノを知らないんだ」

 

とかいうの。見識さんと呼んでる。

こういう正義さんや見識さんが怖いのは、その自身の良識に盲信するあまり、「表明したら合意するのが自然」「表明して合意しなかったら敵か物知らず」くらい強い断定を暗にしていて、肝心の「納得のいく説明」とか「落とし所で合意を得るすり合わせ」とか、そういった方向を案じない。

 

でも一番本当は万人にも納得のいく説明が出来て、あらゆる損益に関わる人が合意するまで活動しないといけないはずなんですよ。個人の考えた「社会的に善」って。

 

いや、なんらかの根拠で自分が参画すべきって判断したんだろう事はもうわかってるんよ! それの活動範囲と境界の人間が納得できる理由聞きたいんだよ!

 

「正しいから」には「正しさを示す論理」がいるし、それを納得させられる説明がいるんだよ

 

なので、少なくとも自分は正義さんや見識さんに出来るだけなってしまわない事を注意しつつ、「「正義の隣」はダルいから避けたいなー…」と思っている昨今です。

 

正義さんや見識さんって、いわゆる無敵の人の属性あるから防御力高いけど、そのお隣さんでいると ルカニ 限界までかけられて毎ターンひのきのぼうで殴られる程度の、微妙に「圧死しないけどすっごい疲れるし、忘れた頃に瀕死になってそう!!」っていう本当に煩わしい感じになる。

 

 

おまけ

社会的、あるいは良識とか道徳とかいう類はそれだけの大義を求められるから誤解されちゃ駄目

Studygift はクラウドファンディングなんだから本当にもう芸人投票というか、キャラクターへ投資するのが実際だったし、別にそれはそれで良かったはずなんだけど(エグい事言えばダメ学生にも金を投げつけて面白プロデュースできる!! みたいなデリカシーの無い企画ですら良かった。たぶんそれはそれで出資者は合意して金出すだろうから)、アピールがまるで社会活動のような慈善事業のそれだったのが導火線になってた。演者に着火剤纏わせすぎだろうとも思うたが。

 

本当に SNS的な ”ソーシャル” の範囲で完結したり、その周囲くらいがステークホルダーになる規模を予想していた場合は、意地でも「これは別に世の中を革新して行こうみたいな崇高な理念は無い」という雰囲気を醸し出さないと、基本的に当事者の望まない 善意の脅威に晒されるんじゃないかなー。

 

とか思った。

多少の秘密と多少の嘘、多少の「ほんとう」

すべてを聴く人

仮に「誰彼問わず、人の言う事すべてを真として受けとる」という人がいたとして、その人は、全てを信じているんだろうけど、その人自体はおそらく誰からも信用されないのだろう

目に見える事、耳に入る事すべてが本当だと信じてしまうのは、嘘か誠かを見極めていないという事だし、その人の話す事柄も嘘か誠かわからないものになる。その人にとっては全てが真実なのに

「誰の言う事も信じず、自分だけを信じている」という人の方が、「その人の言葉はその人のありのままの真実」だとしてわかりやすく、誰にとっても「信じやすい」。「誰をも信じる人」を信用できなくて、「誰も信じない人」は信用できる、そんなねじれ

すべてを話す人

仮に「誰彼問わず、人にすべてを話してくれる。私事も、見聞きした事すべてを」という人がいたとして、その人は誰をも信じているんだろうけど、その人自体はおそらく誰からも信用されないのだろう

自分の見聞きした事をすべて話すというのは、隔りなく関わる人すべてに秘することなく自ら(自分と、自分の身の回り)を晒け出せるという事だけど、その周囲の人にとっては「この人は私の秘めていたい事まで、私の知らぬ所で明かしてしまうのだろう」と警戒される

「誰の事も話さず、自分の事も話さない」という人の方が、「その人は私の公にしたくない秘密も、きっと守ってくれる」と思いやすく、誰にとっても「信じやすい」。「誰にでも話す人」を信用できなくて、「誰にも話さない人」は信用できる、そんなねじれ

多少の秘密と多少の嘘、多少の「ほんとう」

結局てきとうに嘘ついたりはぐらかしたり、隠したりしつつも、割とちゃんと本当の事を話す、っていうのを、バランス保ってる方が人として信用できるんじゃないかと思う。

もしかしたらいつでも正直、みたいなのも、人としては面白みが無いんかもしれないし、それだって他人から見たら「表裏くらいはあるんでないの。本音は隠してるだろう」とかなんだろう。

だから人は面白いんだな

新橋色の空と苟且のプライド

澄み切った青空の下で、朝日に照らされた建物の群像を見ると、幼少の頃病棟の窓からそれを眺めていた事を思いだしてしまった。

今では筋肉質で体力もありそうな、見た目頑丈で健康的な体を持っているが、生まれて小学校に上がるまではひと月置きに入院するような虚弱児だった。一度医者にもわからない不明熱を出して大病院に運ばれ、親に「この子死んじゃうかも」と思われた事もあったらしい。

ずっと病棟で暮らしていたという程悲劇的な(これはそうやって生きて来た人には失礼か)日々ではなく、しばらく保育園に通っては度々入院するという程度だった。けれど、病棟の景色はもう入院なんて20年もしてないのに保育園の景色よりハッキリ覚えてる。


そんな中、運動面や交遊面で充実するのはその年齢の子供同士でやるには中々困難で、「おともだち」の付き合いも保育園の"外"を越える事なく、"お遊戯"もドベっぷりを晒し続けていた。

「○○くんち、あそびに行くー」とか「なにやってんのまぜてー」とか、そういうのを投げかけにくい。「もう"おともだち"はぼくのにゅういんちゅうになかよくかたまってしまっていた」そういう感じ。
あと男の子は駆けっこ、なわとび、タイヤとび、で実力買われないと仲間内に認めてもらえない社会があったね。

未だに運動そのものにコンプレックスもあるし、人との交遊においても距離感を常に感じるのはここからかと思うと呪いにかかったようだ。あまりそう考えたくはない。


それはそれで、忘れたかったのはここからだ。


母は自分の養育費と医療費をまかなう為に働きつつ、乳幼児だった妹も世話しながら自分が入院している間、ずっと病室の僕のベッドの下で寝泊まりしていた。

僕個人の体質であろうのに、母は祖母からの「子育ての怠慢」として非難されていた。それは物心ついてから嫌という程、祖母は僕自身の不始末やアレルギー体質にでさえ母の所為にしたのを見てきたから想像つく。

母はそういう意味で、自分の初めての子を、不必要な強迫観念を持って看護していたのかもしれないし、病床の子の傍にいる事で親としての責務と祖母からの逃避をしていたのかもしれない。


そんな状況が嫌だった。

「食べ物に好き嫌いがある」事も「食卓で明るく保育園であったことなどを話してくれない」事も、そして自分の体質的な問題も、目の前で親の所為にされた。

好き嫌いを克服する他なかった。食事の席では自分からなんでもいいから話題を出すしかなかった。自分の体の問題を咎められないよう、健康になるしかなかった。

たかだか、あいうえおも正しく書けない子供にそんな事わかるかよ(かなの読み書きは入学前に出来てたけど一応)。とも思うが、祖母にとっての初孫(母の子では無い、要するにイトコ)たちの健康で勤勉な様を満足気に自慢して、比べ「あなたもがんばろうねぇ〜」とやっと出来た男孫にかけた期待というかプレッシャーは大学に入るまで逃げる事もできなかった。人生のほぼすべてに渡った呪縛だった。


通知表の時期は「あなたも成績高くないとねぇ〜」*1
やれ、先の孫が進学校に上がったら、「あなたもこれくらい良い高校いけるといいねぇ〜」
*2

ムキになって勉強した。友人も作った。いつまでもスポーツが下手なのが嫌だから無理した。*3。嫌でも運動神経が発達する幼少期の運動が大事だとわかった。反射神経の出来が全然違う。


自分は好きな事やってるつもりだった。でも、節々でそれは「祖父母から親を守る」直感で働いたんじゃないかと思ってしまう。

誰かの為に生きるなんて考えるもんじゃない(大抵その人への押し付けがましいエゴで終わるから)。

だけれど自分は本当に今迄の選択をそんな風にやれてたか? 祖父母が親にやっかみしないよう運動部に入って健康なフリしたり、わざわざ全力で受けないと無理な進学校に入ろうとしたり、親離れならぬ祖父母離れがしたくてわざと反対するような大学を選択したんじゃないのか?


澄み切った青空の下で、カーテンを透かして入る日が照らすモルタルの壁を見ると、幼少の頃病棟の一室でそれを眺めていた事を思い出してしまった。

母は「もうすぐよくなるから」と言ってくれた


あれから20年かけて手に入れたものは、誰かを守る為に手に入れた見せ掛けだけのかりそめの肉体と知恵でしかなかったのか。

*1:成績下がったらスーパーファミコン次の通知表まで取り上げ、というルールだった

*2:大体大学に「美術系うける」ってだけで大反対したのは祖母だし、受験浪人するっていったら勝手に一家大揉めの大騒動に仕立てて親戚会議まで開きやがった

*3:小:卓球、中:ソフトテニス、高:ラグビー