身震いするほどの、孤独の中で
この記事は DevLOVE Advent Calendar 2014 「越境」 の53日目の記事です
前日は くてけん さんの 世界の境界が消え、越境されることへの恐怖 - 君たちは永遠にそいつらより若い でした
まぁ、主に昔話をします
主旨「孤独と絶望に向き合うハメになるが諦めずに」
- 画力に自信が無くて吐くほどになった受験生の時の話
- 大学に入ったが、自分の実力なんてゴミ程度だと気付かされた話
- 真面目にエンジニアリングの正論を貫こうとしたら、心が壊れた話
- 苦労するほど、境目を越えるほど他人に分かってもらえなくなる話
- 「それでも失望しては負けだ」と信じれますか
ゲームばかりして少年時代を過ごしていたら、ゲームで飯が食えるようになったある男の話
新年あけましておめでとうございます
本名よりもHNの方がGoogleで返す情報量の多いVoQnです。
昨年末に、「ある少年に、ゲームをする時間よりも有意義な時間の過ごし方があると諭した」という記事が賛否問わず話題となりました。
DSの中でキャラクターが強くなって、それで?君は何を得たの?答えはゼロ、なんにも得ていない。仕事を頑張ったらお金がもらえるけど、それもない。勉強でもスポーツでもないので、一つでも漢字を覚える(つまりもっといろんな本が読めるようになるってことだ)、計算ができるようになる、サッカーがうまくなる、もちろんどれもない。ゼロ。君の未来の何にもつながっていないんだ。なるほど、それはわかるんだね。
ということは君がDSに使っている時間はすべてゴミだということだ。ほら、床に落ちてるホコリとかゴミがあるだろ。これと同じ。全てゴミとして君は時間を捨てている。もちろんね、生きていて無駄なことなんてたくさんあるよ。いくら頑張ってもむくわれないことなんてね。でもさ、最初からゴミだってわかってることをやる必要はないんじゃないかな。
(引用元):やま〜んの箕面ロードバイク日記
なんかこれを読んでいて、「そういえばちょうど20年経ったなぁ」と、初めてSFC(スーパーファミコン)を買ってから、『ゲームばかりしていたらプロとして飯が食えるようになってしまった』自分の事を書こうと思います。
手垢まみれになったネタを言及することについて
はてなブックマーク - オンライン快適仕事術 - 重くなった Firefox 2.0 を劇的にスピードアップする13の方法
読んだ本について書評でもネタにしよかな、なんて思って本のタイトルについてぐぐったりすると、すでに幾人の秀逸な記事があったりして書くにの引け目を感じてしまう時がある。というか、書けない。
ブログはみんなと同じようなことを書いても、ただ陳腐化するだけ。同じネタを扱うなら何らかのプラスαがなければはっきり言って書いている自分ですら楽しくとも何ともない。
例えば、2chのコピペがガセであることを追求する記事だとかは、手垢のついた「みんなの知り得てること」に対して異を唱えている。おまけにそれまでの「みんながネタに食いつく現象・心理」のメタ議論まで発展したりと単純な知識から知恵の昇華につながる記事の書き手になっちゃったりする。
はてブのコメントは辛い評価だけど、正直読み手としては「これはひどい」をつけざるのは得ない。なんでって、この手の記事が始めて出回った頃から半年近くたっているのに、何の工夫も他の書き手がどう書いているかも見回ることもせずただ知識として垂れ流しているだけ。それも、誤りを含んでいる知識を。
世に叛乱する玉石混合の情報を記事によって真偽を見極めたりして知識から知恵へ濾過していくのがブロゴスフィアの本領であり、それを目指すのがブロガーの良識なんじゃないかと。
そして、実はこんなことを堂々と書けるわけでも無い自分が悔しい