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つきあたりを右に

つれづれと思うままに綴る

「正義の となり」が負うもの

(はじめに)

このブログはできるだけ個々の案件はもっとよく語れる方へお任せして、すっかり話題にされなくなって「あんなこともありましたねー」くらいになってから回想したりするものです

 

「「正しい」って、大きければ大きいほど隣接しうる側と断絶するよな(というか、迷惑被るんだよな)」

武雄市図書館のCCC提携の件とか、Studygift とか、先日あった首相官邸前デモとか、いろいろありましたけれども、個々に述べることなく上半期傍観してて、「ああ、共通してんな」と思うことがありました。

 

この国には思想と表現の自由というのが法律上保証されているので、別に誰がどう考えようが表明しようが、それが誰かを侵害しない限り咎められることはないのですが。

こと、「公益」とか「大義」とか「道義」とか。そういうものが入ってくると人間おかしくなるというか、”この思想に異をなすものは社会的に駄目!” みたいな人格否定を無自覚にやりだすというか。

 

合意のコスト

基本的に、やりたいことや、主張する事って、それの影響を受ける対象の規模に応じて、負担を大きくさせるものです。

「表現するだけなので、言ってるだけだし、書いてるだけだし」とはいっても、対象となる人にはそれを受け入れる心理的な負荷をかけてることには変わりなく。

そしてどう受け取るかも個々に任せる分、その係数は人によるのでネットの(攻撃を意図しない)一言が他者を予想外に響かせることも、その逆があることもそれで説明つくかと思います。

 

それが、表現するだけで終わるだけでなく、実際に何らかのコストを払い、リスクをかけて、何か活動を行う場合その負担を合意してもらう必要があります。

だから、法人の事業では、プロモーションなり、マーケティングなり、プレゼンテーションなりをして払う側、負う側へ合意してもらおうとするわけです。

 

つまり、主張することや実行せんとする事を、隣接する者への納得または合意を得て幸福を実現させようとするものです。

 

「社会的に善(っぽい)」

で、社会的に訴える類になると、それがもっとより強く要求される事になるはずなのです。

「青少年の健全な環境の為にいかがわしいもの市場に出回るの禁止〜」とか

「著作権者の権利を守るためにCD以外の流通信用しないで違法化するぞ〜」とか

「国民の健康と自然環境の為に原子力発電所撤廃させよ〜」とか

これら、「為に」の部分はそりゃ真っ当ですね、なんか道徳の教科書で習った「いいこと」っぽい感じしますね、とは思うものの、実際には実現するにも、実現した後にもかなりのコストとリスクがかかる事です。「できなくなること」であったり、「負担が増えること」であったり。

 

このコストとリスクは主語の大きさに比例してデカくなると思います。

 

(注) 違法ダウンロード刑罰化の話は、そう主張するわけじゃないはずですが、参考人の主張だとこう聞こえてしまう。公式Youtube配信とか微妙なラインではないですか。

 

「社会的に善(だと信じてること)なのだから」だと割と人って乱暴になる

正義(せいぎ)さん (まさよしさんじゃないよ、孫社長のことでもないよ) って自分の中で呼んでいるんですけど、

 

「これはそもそもが善い事なのだし、そこを批判される謂れなどないし、これに反対する者は間違っているか物事をわかっていない」

 

と、わりかしぞっとする思考を持ってる人。

あるいは、この思念の亜種として、

 

「色々な見聞や権威からのお墨付きなり常識なりで、今の自分の考えは正しい!異を唱える人はモノを知らないんだ」

 

とかいうの。見識さんと呼んでる。

こういう正義さんや見識さんが怖いのは、その自身の良識に盲信するあまり、「表明したら合意するのが自然」「表明して合意しなかったら敵か物知らず」くらい強い断定を暗にしていて、肝心の「納得のいく説明」とか「落とし所で合意を得るすり合わせ」とか、そういった方向を案じない。

 

でも一番本当は万人にも納得のいく説明が出来て、あらゆる損益に関わる人が合意するまで活動しないといけないはずなんですよ。個人の考えた「社会的に善」って。

 

いや、なんらかの根拠で自分が参画すべきって判断したんだろう事はもうわかってるんよ! それの活動範囲と境界の人間が納得できる理由聞きたいんだよ!

 

「正しいから」には「正しさを示す論理」がいるし、それを納得させられる説明がいるんだよ

 

なので、少なくとも自分は正義さんや見識さんに出来るだけなってしまわない事を注意しつつ、「「正義の隣」はダルいから避けたいなー…」と思っている昨今です。

 

正義さんや見識さんって、いわゆる無敵の人の属性あるから防御力高いけど、そのお隣さんでいると ルカニ 限界までかけられて毎ターンひのきのぼうで殴られる程度の、微妙に「圧死しないけどすっごい疲れるし、忘れた頃に瀕死になってそう!!」っていう本当に煩わしい感じになる。

 

 

おまけ

社会的、あるいは良識とか道徳とかいう類はそれだけの大義を求められるから誤解されちゃ駄目

Studygift はクラウドファンディングなんだから本当にもう芸人投票というか、キャラクターへ投資するのが実際だったし、別にそれはそれで良かったはずなんだけど(エグい事言えばダメ学生にも金を投げつけて面白プロデュースできる!! みたいなデリカシーの無い企画ですら良かった。たぶんそれはそれで出資者は合意して金出すだろうから)、アピールがまるで社会活動のような慈善事業のそれだったのが導火線になってた。演者に着火剤纏わせすぎだろうとも思うたが。

 

本当に SNS的な ”ソーシャル” の範囲で完結したり、その周囲くらいがステークホルダーになる規模を予想していた場合は、意地でも「これは別に世の中を革新して行こうみたいな崇高な理念は無い」という雰囲気を醸し出さないと、基本的に当事者の望まない 善意の脅威に晒されるんじゃないかなー。

 

とか思った。