身震いするほどの、孤独の中で
この記事は DevLOVE Advent Calendar 2014 「越境」 の53日目の記事です
前日は くてけん さんの 世界の境界が消え、越境されることへの恐怖 - 君たちは永遠にそいつらより若い でした
まぁ、主に昔話をします
主旨「孤独と絶望に向き合うハメになるが諦めずに」
- 画力に自信が無くて吐くほどになった受験生の時の話
- 大学に入ったが、自分の実力なんてゴミ程度だと気付かされた話
- 真面目にエンジニアリングの正論を貫こうとしたら、心が壊れた話
- 苦労するほど、境目を越えるほど他人に分かってもらえなくなる話
- 「それでも失望しては負けだ」と信じれますか
2004 - 鉛筆を持つと吐くようになるまで
今から10年以上前になりますが、当時一浪していた2003-2004年の冬は惨めなものでした。
一年予備校に通ってた割には模試の成績も上がらず、美術実技の制作は手が遅くなる一方で、センター試験後の自己採点をやり終えた頃には自信をすっかり失っていました。
大学受験に対するプレッシャーなのか、成長の悪さに対してか、絵筆が持てなくなってしまった事があり、課題のデッサンで、鉛筆を握ると嘔吐するようにまでになっていました。
嘔吐と嗚咽
受験日の数週間前に、通っていた画塾の学長に泣きながら相談した時の事を今でも覚えています。
「本当は描きたいんです。描いて受かりたいんです」
「でも、鉛筆がもう持てないんです。手に取ると、震えて、線がまっすぐ引けなくて」
「悔しくて、涙が出てきて、苦しくて、食べたものも吐き出しちゃって。画用紙に向かえないんです」
コレが精一杯の報告でした。
世話になった先生への申し訳なさと情けなさで声もマトモに出せない状態でした
「基礎から向き合い直す」こと
上の写真はその頃に描いたデッサンです
一ヶ月かけて、鉛筆が持てない状態からリハビリして
とにかく直線と丸と円弧を描けるようになるところからやり直して
デッサンじゃなく、ひたすらクロッキーと模写を1冊埋まるほど描いて
身体にこびりついた「才能が無い」恐怖を拭うように無心で描き続けました
結果的に、試験当日は会場で一番早く実技を描き終え、そのままだと落ちる学科試験の点数を補って合格してしまいました。
2006 - 同世代との実力差と経験量の差
大学入学が人生のゴールなんかではないように、その後も打ちのめされる事ばかり。
高校時代は美術を真剣に志す人を知らず、僕も所詮、受験期から始めた程度でしかなく。
大学では思春期に入る前から、過去の自分が抱えてた悩みをとうに乗り越えてきた同世代の人に溢れていて。
「中学入る前からやってるから。…てか、そんな事で悩んでられないし」
そういう人が同級でも後輩でも沢山いて、しかも画力も造形力も勝てそうにないほど高くて。
そして、それでも自身の現状の実力に悩んでいて。
「挑んでいる課題」の差
彫塑(彫刻科の事だと思えば良いです)の授業にモグリで受けて、上の裸婦像を作ったのですが、僕が「カタチの正確さ」に翻弄されている横で、後輩である彫刻家の卵たちは
「モデルさんは柔らかい話し方をされるので、そういう雰囲気が出るようにしたい」
「印象は朗らかだけど、立ち姿は凛とされているので、そういうのを出したかった」
と、自分より高いレベルの表現を追求していたのでした。
「次は、そうだね、モデルさんの感情を作品に出せるといいね。カタチの追い方はスジ良い方だから」
講評ではそう言われたものの、後輩の作品に気圧されて素直に喜べてはいませんでした。
2010 -「エンジニアの正論」を振りかざして自滅
「自分が優れているから、正しいとも信じ切れる」とは限らないというのを痛感したのが社会人になってからでした。
小さな会社に入って、「とはいえプログラマ一年生だから、素直に基礎からやろう」と始めは謙虚でいたものの、入社して3ヶ月以内で一番コミットしてるプログラマーになっていました。
主に内容は
- レガシーコードが生んでいる『不具合の修正』と呼ばれた、設計からの作り直し
- 元のコード量を1/20から1/10に小さく書き直す『リファクタリング』
- エンジニア以外スタッフにリグレッションテストが実施できるよう(なぜか存在していなかった)テスト設計
- 「出来る人がいなかったから」BTS導入のリサーチとして Git + Redmine の試験導入
などなど
「技術的正しさ」は「組織的正しさ」と同じではない
「頼めば、やりとげてくれる」と信頼されるようにまでなったけれど、結果的に自滅してしまいました
2万行とか、3万行のクラスを3日でリファクタリングしなきゃくなって(その計画はJavaで半年30万行くらい弄らなきゃいけない内容だった)、やるだけやった後に
「ウチのレベル的には、ジェネリクスやインターフェースは使いこなせないのでやめてほしい」
『えっと…』
「共通する処理はコピペで。継承だと、平気で20クラスぐらい重なったりするから」
『継承しないコンクリートクラスを200個用意して、コピペ…』
まぁ、当時のエンジニアの知り合いはそれこそHatenaを賑わせていた皆々であったので、相談すると「やめちまえよ!そんなトコ!」としか言われなかったのですが、
結局自分で意を決する前に心が折れてしまいました
ただ、「技術的正論が通る組織か、そうでないか」と「自分はどれだけ正論じゃない事に弱いか」の観点って要るんだな、という学びはありました。
2014 - 経験を積むほど、理解者がいなくなっていく
当時のドワンゴ社は、おおらかというか「人格破綻者でも社会不適合者でも、んなの技術が確かなら拾うよ」という謎の寛容があり、その流れで自分も拾われて
「てなわけで書籍のプレゼン、KDKWにやってね」
『え…内容、自分で決めていいんですか……』
「はよやって」
『お…Oh…』
という感じで、電子書籍を始めさせてもらったわけですが、当時から現在まで一貫して「今とりかかってる事が手法の一つとして認識されない問題」を抱えるようになりました。
早すぎる「手法の取り込み」は信頼を受けづらい
現在であれば、「Lean UX プラクティス」や「メンタルモデル構築」などが書籍やWebなどで紹介されているのですが、
「iPadが売れるかわからんタイミングでわざわざ手ェ出してくれる」ペルソナを立てたり、
実在するビブリオマニアに「メンタルモデル調査のユーザーインタビュー」をしたり。
2010年ごろにそうした手法に取り組む自分の姿は、当時のWeb系の、どの職種の人にとっても奇異に見られていたようです。ありていに言えば、信用されづらかった
自分にとってはサービスの骨子の前に将来のユーザー像を画策する事は、仕様概要を書き出すよりも大事な事としていても、手法がまだ広く認知されていない状態であったり、概念が共有されていない状態では「仕事ほっぽり出してよくわからない事に時間を潰している」ようにしか見えないんだと
「学ぶ」「鍛える」ことで、離れてしまうモノ
あれこれ手をつけて、色々を率先して学ぶほどに、同業から理解もされなくなるという事を痛感する日々です。
他者を理解する為に学び始めたはずなのに、学んだ頃には他者から理解されなくなってしまった。
UX に真面目に取り組める組織づくりについてのスライドを公開しました - つきあたりを右に
これを書いた2012年12月に、この内容の深刻さを共感する人はごくわずかでした
やっと最近「アレさ、今だったら分かるわ…痛いほどわかるわ…」と言ってくれる声を聞いています
なんというか、それだけラグがあり、じゃあ現状の自分が考える「かなりマズい問題」を意識してる人は今は少ないと覚悟しなきゃいかんのかな、と思います
2015 -「独りではないが、『孤独』である」世界の中で
こう、自信を失ったり、自暴自棄になったり、あるいは八つ当たりで周りに攻撃的になったりする自分ですが
ありがたいことに、それでも友でいてくれる沢山の友人に出会え、今も支えてもらっています
しかし、どんなに嫌でも認めなきゃいけないのは
自分は別に独りじゃない(つか、独りだったら死んでる)
いまやってる殆どは独りでは出来ないコトである、大勢の人の手があって成り立ってる
けれど、『孤独』から逃げられない
というキツい事実でした
もう、自分のプロフェッショナルとしての矜持は親族にまるで理解されないし
よく酒を酌み交わす友人(ハト科)とも、流儀と信条は既に違えているのを実感します
身震いするほどの孤独の中で他人と自分を諦めずにいれるか
この記事、一応「越境」の話なので、散漫としたこれらをまとめると
- (自分の境)「自分の成長」に絶望するような日が来る
- (他者の境)「自分と他人の覆せない差」に直面する日が来る
- (社会の境)「技術的正しさ」は「組織的正しさ」と同じではない
- (技術の境)「手法の取り込み」は早すぎれば信頼をされない
- (経験の境)「学ぶ、鍛える」ことで、人と相容れなくなる日が来る
まぁ、それぞれの苦い思い出にこういう学びを得ています。
だいたい苦しいし、みじめだし、つらい
現実が受け入れられなくてゲロはいたり
実力に見合ってないコトを求めて悔しくて泣いていたり
誰にも分かってもらえないと塞ぎこんでいたり
ドヤ顔でカッコつけて何か告知するまでは、そういう日ばかりだったりします
「越える前」と「越える中」と「越えた後」
「境」は越えようとするものが高いほど、深いほど苦しい「越境」が伴うし、
「越える」には、地味で地道で退屈そうな「基礎の訓練」が必要になるし、
「越えた先」には、他者に理解されない「孤独」が待っています
やめずに続けること
それでも、人を信じて、託して、自己の研鑽を続けるコトが大事なんだと思います
そう信じれば、もっと自分にも他人にも、優しくできるはずですから
次回予告
大晦日の担当は The Hiro さんです
みなさま、よいお年を